「美人の国 足利」渡良瀬橋43のふるさとについて

「美人の国 足利」歴史が語る美しいまち 美しいものと美人にあふれたまち、足利市。

渡良瀬橋

渡良瀬橋43の地元、栃木県の南部に位置する足利市は、市内を流れる渡良瀬川と山々に囲まれた風光明媚なまちです。足利の歴史を「美しいもの」という視点で見てみると、大変興味深い史実がたくさん出てきます。
足利市は古くから美しい織物で栄え、歴史は奈良時代にまでさかのぼります。昭和初期には生産高で日本一を誇るようになり、「足利銘仙」と呼ばれる足利の織物は一世を風靡しました。渡良瀬橋43の「足利銘仙衣装」は、その時代の実際の銘仙の古布を現代風にアレンジして制作されています。
大河ドラマ「太平記」ゆかりのまちとしても知られ、八幡太郎、源義家の孫である源義康が足利氏を名乗ったことから始まる足利氏発祥の地でもあります。
豊かな歴史と文化、自然に彩られたまち、足利市には全国的に有名な日本一の大藤で知られるあしかがフラワーパークや、市街地と渡良瀬川を見下ろす機神山(織姫山)に織物の神様を祀る織姫神社もあり、寺社仏閣は300を超え、今も昔も美しいものに溢れています。
そんな足利には歴史や伝説を紐解くと、数多くの美しい女性、美人たちがたくさんいます。八幡太郎義家とのロマンスが語られ、足利氏の発祥に関わっている足利大夫基綱の娘である明石姫や、本堂が国宝に指定されている大日如来を祭っている鑁阿寺を建立した足利義兼の正室であり、将軍源頼朝の正室北条政子の妹で美人として名高かった北条時子など、数多くの美人が足利の歴史に登場しています。また、山から湧き出る清水も名水として名高いものになっており、その水を飲んでいた足利の女性たちは、自然に美しくなったといわれています。

明石姫の伝説 足利氏の開祖の母

美人弁天

明石姫の伝説は、1056年頃に源義家が勅命により出陣した際の史実にまつわる話です。道中足利の堀込にて現在の八幡神社にて戦勝祈願した義家は、時の足利城主足利太夫基綱の館に滞在。娘の明石姫に出会います。明石姫は平将門の乱を平定した藤原秀郷の末裔でもあります。美人と名高い明石姫と義家は恋に落ち、2人の間に生まれた子、源義国公は、新田氏の開祖である源義重と足利氏の開祖である源義康の父であり、足利および北関東の歴史の重要な人物となります。これらの史実は、森高千里さんの歌「渡良瀬橋」に登場する八雲神社の略誌に記載されて残っています。
足利市内には、子守りの神様で子供の守護神である女神、市杵島姫命を祀る厳島神社があり、そこには、古来「明石弁天」として親しまれ、明石姫ゆかりの弁天様があります。16世紀に足利の領主であった足利長尾氏が城の周りに七弁天を配神したうちの1つで、現在では「美人の国 足利」の「美人弁天」として親しまれています。「美人弁天」は、「美人証明」を発行する神社として知られています。

美人の歴史と文化は美しいまちから未来につながる

織姫神社

明石姫に代表される歴史上の美人だけでなく、奈良時代から続く織物文化が足利の女性の美しさを育んできたことは、文化としてこのまちに根付いているようです。美しい織物をつくってきたのは、機を織る女性たち。織物をまとい、美を追求して来たのもまた女性が中心です。
織物産業の全盛期には、東北をはじめ、日本全国から女工さんたちが足利に集まり、300名を超える芸子さんが三味線を鳴らし、関東で最も京文化が早く入り、ファッションやトレンドの先端を走るまちでした。
足利銘仙の隆盛期は、日本のファッション界のトレンドセッターとしての役割を担う、アパレルの中心地であったということです。
そのような文化を牽引したのは、もちろん足利美人の女性たちです。
娘として妻として、女工として、デザイナーとして、夫を支え、家族を守り、まちの産業を発展させてきた女性たち。外見だけでなく内面の美しさと強さを兼ね備えた女性たちが足利というまちの発展を支えてきたのでしょう。風光明媚な土地に育つ足利の女性に美人が多いといわれるのも、美人を生んできた、足利という土地が持つ歴史と文化の土壌です。歴史を紐解くと、全てが「美しいもの」「美人」につながる美しいまち、それが足利です。

渡良瀬橋43のメンバーたちは、そんな美人の国から美しい国、ニッポンを元気にしよう!と集った足利の歴史と文化を受け継ぎ、未来につなげていく地元の女の子たち。地元を愛し、まちを愛し、ニッポンを愛する子たちが一生懸命まちをPRしていきます。どうか応援をよろしくお願い致します!

【参考文献】
  • 『足利の歴史−ひらけゆく郷土(改訂版)』足利教育会『足利の歴史』改訂委員会編(足利教育会)
  • 『足利の伝説」台一雄著(岩下書店)
  • 『続・足利の伝説」台一雄著(岩下書店)
  • 『続々・足利の伝説」台一雄著(岩下書店)